帰ってきた海難記

帰って来ました!

これからは歩くのだ!

という題名の角田光代のエッセイ集があったと思うけど、今年の一冊を選ぶとすれば、レベッカ・ソルニットのこの本しか思い浮かばない。私にとってはそれほど決定的な出会いだった。

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レベッカ・ソルニット『ウォークス〜歩くことの精神史』(左右社、東辻賢治郎訳)

http://sayusha.com/catalog/books/nonfiction/p9784865281385

ソルニットの名を日本で高からしめたのは、2010年に出た『災害ユートピア〜なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか』(亜紀書房)である。翌年に起きた東日本大震災の後の社会分析においてこの本はよく言及され、人文系の必読書となった感があった。ソルニット自身も震災後に来日し、被災地を訪問したり講演を行ったようで、「早稲田文学」が「グランタ」とのコラボレーションで作った号に、その際のエピソードから着想を得た短編を寄せている。

ソルニットは不思議な書き手である、大学に属さない在野の研究者で、書くものはアカデミックというよりエッセイ的ではあるが、膨大な文献に裏打ちされている。反核運動以来の左派のアクティヴィストとしての経験は長いが、けっして教条主義的ではない。またグランタへの寄稿や、今回の『ウォークス』を読むとわかるように、文芸的な感覚においてもきわめて優れている。一言でいえば、こんな書き手は日本には一人もいねーよ、というほど、知性と行動、テクストとマインドのバランスが素晴らしい人なのだ。

ところで『ウォークス』は、少し前の本である。イギリスでの初版の刊行は2001年だから、「ふた昔前」の本と言ってもいい。『災害ユートピア』はニューオリンズが水没した2005年のハリケーンカトリーナのもたらした大水害後に書かれ、初版が出たのは2009年。つまり『ウォークス』はこの本より遥か前の、ある意味でまだナイーヴな若書きの余韻を残したソルニットの著作なのだ。

古今東西の文芸作品から「歩行」をめぐる膨大なエピソードが引かれるこの本でもっとも好ましく感じられるのは、彼女自身の住むカリフォルニアの自然や市街地について書かれた部分だ。それだけを書くと気恥ずかしいプライベートなエピソードをそのなかに紛らわすためだけに、膨大な引用があるようにさえ読める。

この本を読み始めて、マイク・デイヴィスの『要塞都市LA』を、そしてこの本のエピグラフに掲げられたベンヤミンの言葉を思い出した。デイヴィスの本は1990年に原書が刊行され、日本では2001年に最初の訳書が、そして2008年に増補版が出ている。この「時差」こそが日本と世界のタイムラグ、というより認識そのものの「落差」のように思えるが、それはともかく、デイヴィスのこの本は私がイラク戦争があった2003年に『極西文学論』のもとになった連載を「群像」に書いていた頃、いちばん心の支えにした本だった。

ベンヤミン、デイヴィス、ソルニット。私の中でこの3人は、なんだかとてもよく似た書き手に思える。なんだ西海岸フランクフルト派かよと決めつけたくなるかもしれないが、思考と行動、テキストとマインドのどちらも捨てない強靭さとしなやかさが、ほかならぬ彼らのテキスト自体から感じられる。優れた訳者が介在してくれるおかげもあるが、彼らのテキスト自体が、行動と思考とのあいだの相互運動をたえず「翻訳」した結果生まれたものだからこそ、翻訳によってその本質がなんら損なわれないのではないか、とも思うのである。

私にとってのよい本とは、自分もこんな本も書けたら、と思わせてくれる本である。いわば、テキストがマインドへと、そして思考が行動への橋渡しをしてくれる本である。

だから、このコラムのタイトルは「これからは書くのだ!」という宣言でもある。何かを始めたい人、とくに書くことを始めたい人すべてにこの本を勧めたい。ちょっと高い本だから、プレゼントにもよいと思う。あと読書会などにも。

オンデマンドで本を出す

久しぶりにはてなに帰ってきました。2009年まで、はてなダイアリーで【海難記】というブログをやっていた。こちらは理由ありて完全撤退し、そのあとにもはてなブログでなにかやっていたはずなのだが、ログインしようとしてみたら消えていた。なので、旧ブログ名で暫定的に再開である。

というのも本日12月17日の日付で「編集とライティングにまつわるAdvent Calendar」なるものに登録してしまい、しかしそのために書く個人ブログが見当たらないという事態になったからだ。継続的に書くかどうかはともかく、そういうわけで「帰って」きました。はてな記法もすっかり忘れてしまいましたが。

さて、書くテーマは決まっていて、まもなく久しぶりの単著(といってもインタビュー集なので実質的には共著)として『数理的発想法ーー”リケイ”の仕事人12人に訊いた世界のとらえかた、かかわりかた』という本が出るので、宣伝せよとの担当編集者Kからのお達しがあったからである。

しかもこの本、オンデマンド印刷と電子書籍でしか出ない。なのでプロモーションはウェブに限るというわけで、この機会をお借りした次第である。

でもさすがに本を宣伝するだけでは「編集とライティングにまつわる」というテーマにふさわしくないので、この本を校了するまでに感じたことを書いてみたい。

もともとこの本にまとめた原稿は、某電機メーカーの関連会社のPR誌に11回にわたり連載したものだ。印刷版のPR誌だけでなくウェブでも公開されており、いまでもHTMLとPDFでも手に入る。つまりタダで読みたければ、読めるコンテンツなのである。

本にまとめるにあたっても、インタビュイーに発言部分を確認していただいたほかは、本文にはそれほど手を入れていない。ただし、12人(11回だが、2人が登場する回が一つある)の方々の職業や仕事のテーマに応じて、構成を一新した。作家・マンガ家を「書く、描く、物語る」として第1章に、エンジニア系の研修者を「技術をデザインする」として第2章に、技術で「本」をつないでいく人たちを「本と、デジタル」として第3章に、そして純粋に「科学者」と呼べそうな人たちを「科学者たち」として第4章に、3人ずつ配置した。

連載時にはここまでキッチリと構成を考えて進めていたわけではなく、すでに面識はあったがお話をじっくり聞いたことがなかった人にも、どうしても話を聞いてみたくなった未知の人にも、等しく声をかけた。その結果を11回12人ぶん集めて「編んで」みたところ、思いもかけない面白い本に仕上がった。仕上がったと思う、自分では。12名のお名前は以下の目次(ゲラ段階)をご覧いただきたい。

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「本」とはなんだろう、という問いをこの十数年、ずっと抱えてきた。紙かデジタルか、ということは本質的な問題ではないことも、わかってきた。「本」と「本でない」コンテンツの差とは、ようするに構造があるかないか、である。今回の『数理的発想法』の場合も、連載をただ並べたものは「本」ではない。HTML版やPDF版をウェブで公開にしたままでも、オンデマンドと電子書籍で「商品」としての本をあらたに出すことに意味があるのは、そのように配列され、章のタイトルを与えられることで、個別のインタビュー記事にあらたな文脈ができるからだ。自分でもあらためて読んでいろいろ発見があったので、すでにウェブやプリーペーパー版をお持ちの方も、そのように読んでくれるとうれしい。

この本は自分にとっては、大昔に『季刊・本とコンピュータ』という雑誌でやった連続インタビューに数名を追加して単行本化した『〈ことば〉の仕事』(原書房)の姉妹編である。こちのときは「文系」の人ばかりを取材したが(Amazonだとインタビュイーの名が出ないので列挙すると、小熊英二水越伸山形浩生、斎藤かぐみ、恩田陸佐々木敦豊崎由美堀江敏幸の8名)、併せて読むといろいろと面白いかもしれない。

『数理的発想法』が発売になったら、またここでなにか書いてみたいが、今日はこんなところで。